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張ダビデ牧師 - 福音の躍動性

1.聖書の章節分と約の上下、そしてイザヤ書の構造

私たちはよく知っているように、聖書は本来一つの完成された文章として書かれましたが、今日私たちの手元にある聖書は章と節に分けられています。章と節の区分は、人間が便宜上作ったものではありますが、それが単なる偶然の産物というよりは、聖霊の導きの中で非常に優れた形で形成されたと見ることができます。特に新約聖書の章区分がなされたのは13世紀初頭の1227年、節区分が導入されたのは16世紀中頃の1551年であり、これは教会史の観点から非常に重要な出来事でした。それ以前は聖書を読むこと自体が限られていて、一般信徒は聖書にほとんど近づけない状況でした。しかし宗教改革が起こり、ルターや改革者たちが平信徒でも読みやすいように聖書を翻訳し始めると、章節に区分された聖書の存在は文字どおり革命的な意味を持つようになりました。章と節によって誰でも読みたい箇所をすぐ探して黙想できるようになったからです。これは聖書を研究する学者だけでなく、日常生活の中で信仰を守りたいと願うすべての信徒にも大きな利点をもたらしました。こうした歴史の流れを通じて、私たちは現在、簡単に聖書を検索し、共に研究し、礼拝の場で特定の本文を共有できる恵みを享受しています。

旧約聖書の場合も同様です。たとえばサムエル記上・下や歴代誌上・下は、元来ヘブライ語聖書ではそれぞれ一巻の巻物として存在していましたが、その後、読者の便宜のため、また章節区分と同様の目的から上・下に分けて読む形になりました。この変化は長い歴史を経て受け継がれてきたもので、実際ヘブライ語聖書の編集的伝承の過程を探ると、巻物が長くなり分量が増え、一つの巻物に収めるのが難しくなったという物理的な理由もありました。結局、物理的事情とともに読者の学習の便宜を図る目的で「上・下」の分冊が行われたのです。私たちが読んでいる改訂版聖書や他の翻訳でも、サムエル記上とサムエル記下は明らかに別の書として扱われていますが、本質的には同じ流れを持ち、内容上の文脈も継続しています。同様に歴代誌上・下も、本来は一巻とみなされていたものが分冊され、今日の形で定着しました。

今日、私たちに伝わるイザヤ書は一巻にまとめられており、全体を通観して読むことがはるかに豊かな恵みを得る道となります。実際イエス様や使徒たちもイザヤ書全体を一つの書として引用していますから、教会においては概してイザヤ書全体を一つの書物として受け取り、黙想してきました。学問的には「第1イザヤ」「第2イザヤ」「第3イザヤ」と三分して研究する伝統がありますが、信仰的次元では、一巻としてのメッセージ全体の中で「イザヤの預言が持つ福音性」を発見し、私たちの信仰を確固たるものにしていくことが重要です。このように聖書の各書を本来の文脈と実際の歴史的伝承の両方を考慮して読むなら、御言葉をさらに深く理解し、その中に込められた神の御心をいっそう鮮明に見ることができるのです。

新約時代に入ると、特に13世紀と16世紀の章節導入は、それまで司祭や特別な研究者だけがアクセスできた聖書を一般信徒がより簡単かつ体系的に読めるようにした画期的出来事でした。ルターやツヴィングリ、カルヴァンといった宗教改革者たちが「聖書のみ(Sola Scriptura)」を掲げ、ラテン語聖書を各国語に翻訳・普及させるときに、この章節体系が大きく寄与したのです。礼拝でも司祭だけが聖書を朗読し、信徒はただ聞くだけだった時代は終わり、賛美も一般信徒は共に歌えなかった旧時代的伝統が変わり、今日ではまさに私たち全員が詩篇150篇の御言葉のように「息のあるものは皆、主を賛美せよ」という命令を直接実践できるようになりました。聖歌隊だけが聖なる賛美を捧げるのではなく、共同体全体が声を合わせて神を賛美するのです。教会の基盤となる多くの信徒がみずから御言葉を黙想し、自由に賛美し、聖書を学べるようになったことは、すべて「章節区分」という小さな装置が持つ実用性の大きな働きと言えるでしょう。もちろん章節はあくまで補助手段にすぎませんが、最終的に神の御言葉を支えるのに役立つなら、まさにそれが教会史における聖霊の摂理だと告白できるのではないでしょうか。

旧約のサムエル記上・下と歴代誌上・下は、それぞれ分冊され私たちには別々の書のように映りますが、同じストーリーラインを共有しています。例えばサムエル記上・下では、預言者サムエルとサウル、そしてダビデに至るまで、イスラエルの王政時代の始まりとその統治の変遷史が綴られていますが、これを上下に分けているため、読者にとっては小見出しのような機能を果たします。実際に上・下をまとめて読むと、イスラエル史の中で起こる非常に劇的な転換点を一気に把握することができ、流れがより自然に繋がっていきます。歴代誌上・下もダビデ以降の時代からソロモン、そして分裂王国時代までの全過程がまとめられていますが、物理的理由と内容の分量ゆえに分かれているわけです。このように旧約聖書の構造を見てみると、私たちが慣れ親しんでいる「章・節、上・下」という区分が、単なる区画以上に恵みに満ちた洞察をもたらすこともあるのです。

イザヤ書は、その文体や預言の時点によって「第1イザヤ」「第2イザヤ」に区分する伝統がありますが、教会の伝承ではそれらを一つに統合して用いてきました。イエス様もイザヤ書を引用される際、特定の章だけを指すのではなく、全体を踏まえた文脈で引用されていることを考えるなら、イザヤ書が救いの歴史の中でいかなる位置を占めているのかがより明確に伝わってきます。この書を読む際には、本文の歴史的背景、メッセージ、預言の対象と時点、そしてメシア預言がいかに成就するかを全体的な流れの中で見る必要があります。学者たちはバビロン捕囚期以降、または捕囚期末期に位置づける見方が主流ですが、教会における信仰的理解では、それらすべての預言が結局は一つの救済史的叙事を示しているという点に重きを置きます。

宗教改革前後の時代に目を向けると、マルティン・ルターが1517年に「95か条の提題」を掲示して始まった「宗教改革」は、一般平信徒が聖書を直接読む道を開きました。それ以前はラテン語聖書(ヴルガータ)を司祭や修道院など限られた階層が所有し解釈できただけで、平信徒は言語的・文化的壁のために聖書に触れることが困難だったのです。教会の伝統に従って与えられる教えと聖礼典にあずかるだけで、自ら聖書を黙想し祈る文化が広く行き渡ってはいませんでした。しかし印刷術の発達とともに、ルターがドイツ語に聖書を翻訳して普及させ、同時に章節区分が導入されたことで、人々はより短時間で御言葉を探し読めるようになりました。当時は英語圏でもウィクリフやティンデルなどが英語訳に献身し、聖書を直接読めるようにしたことが大きな波紋を呼びました。これはすなわち教会の構造を揺るがすことにもなりました。なぜなら、宗教的権威がもっぱら「教会(司祭・司教・教皇など)」にのみあると考えられていた時代から抜け出し、すべてのキリスト者が聖書を通じて神へ直接近づけるという事実が注目されるようになったからです。

張ダビデ牧師もまた、宗教改革以降いっそう拡大した「すべての信徒が御言葉を直接読み黙想する」伝統が、現代に再び甦らなければならないと強調しています。教会史的観点から見ると、御言葉が隠されるか特定の権威者だけに独占されると、必ず変質が起こるというのです。したがって、改革者たちが成し遂げた最大の業績は「翻訳された聖書」を平信徒に普及したことだと言っても過言ではなく、それは章節区分のシステムを通じて節単位で容易に引用し研究できるようになった点とも繋がっています。現代を生きる私たちはスマートフォン一つあれば数秒で望む聖句を検索でき、さまざまな翻訳を比較することもできます。実際に説教の準備をするときや聖書勉強を導くとき、この章節区分や本文検索機能は非常に重宝します。しかし忘れてはならないのは、こうした便利さが単に形式的なもので終わってはならないということです。最終的に大切なのは、その便利さを活用してより深い黙想と、より豊かな霊的成長を成し遂げるかどうかです。

詩篇の記者は「神を賛美せよ」と強調し、「息のあるものは皆、主を賛美せよ」という御言葉のように、いま私たちが全員で賛美を捧げられる時代が開かれています。実際、中世の時代には聖歌隊が会衆に代わって賛美を捧げ、平信徒はそれを聞くだけという場合がほとんどでした。しかし御言葉を分かち合い、自ら歌う共同体礼拝が宗教改革後、徐々に普及していったのは「信徒たちの聖書読解」と密接に結びついています。賛美は唇の告白ですが、その根拠となるのは御言葉だからです。聖書が私たちの近くにあり、それを通じて神を知る知識が豊かになるとき、自然に賛美と礼拝の自発性が生まれます。ゆえに章節区分の導入と宗教改革、そして平信徒の聖書への接近が、私たちが今日礼拝の中で心から神を賛美し、御言葉を悟るという大きな祝福の背景になったと言えるのです。

特にローマ書10章6~8節では「御言葉はあなたの近くにある」と語られています。使徒パウロが「だれが天に上って主をお連れしようか、と言うのか。あるいはだれが深い淵に降りてキリストを呼び戻そうとするのか」と問いかける形で、すでに主の御言葉が私たちのそばに来ていることを宣言する場面は印象的です。イエス・キリストによって完成された福音が私たちに与えられ、それを文字として記録した聖書もまたいつでも開けるように、いま私たちの手元に非常に近いところに置かれています。この御言葉どおり、現在は教会の内外を問わず、個人でも共同体でも、御言葉を豊かに味わうことができます。ほんの数世紀前までは、平信徒が聖書一巻を丸ごと読んで理解するなど想像もできなかった時代がありました。しかし今日では他言語にまで広く翻訳され、コミュニケーションの幅がはるかに広がっていますし、そのすべての流れの中で章節の仕組みが補助的役割をしっかり果たしていることをあらためて確認できるのです。

張ダビデ牧師はこのような歴史を振り返りながら、信徒たちが聖書そのものをもっと尊び、喜びをもって親しむよう勧めています。「大事なのは章や節そのものではなく、その章節が私たちにもたらす『御言葉に触れる機会』である」というわけです。旧約のサムエル記上・下、歴代誌上・下、そしてイザヤ書など、さまざまな例が示すように、結局分冊や章節分割の目的は、読者の理解と接近性を高め「御言葉の真理をより深く体験させること」にあります。古代イスラエルの人々が神の御言葉を読み、トーラーを暗唱し、預言書や詩篇を歌にして唱えたように、新約教会の時代にもこの伝統は受け継がれるべきです。ましてイエス様の時代には、会堂で特定の巻物を探して該当箇所を開いて読むことが容易ではありませんでしたが、現代の私たちは本当に手軽に読むことができるのですから、どれほど大きな祝福でしょうか。このように聖書を敬いつつ読み黙想し、さらに従順して生きることこそ、今日の教会が回復すべき本質であり核心課題だといえます。

 


2.テサロニケ第一の背景とパウロの福音

 

テサロニケ第一の手紙は、パウロとシラス、そしてテモテが連名で記した書簡と伝えられています。使徒の働き17章によれば、パウロがピリピでひどい苦難と投獄、鞭打ちに遭った後、テサロニケに移動したときの背景が詳しく出てきます。当時パウロは第2回伝道旅行中で、マケドニア地方のいくつかの都市で福音を伝えたのち、最終的にはローマを経て地中海世界の果てと考えられていたスペインまで行くことを望んでいました。ピリピで不当な扱いを受け監禁されたり、大きな迫害を受けながらも、パウロは使命を放棄せず前進することを選びました。そして次に移動した都市が、マケドニアの首都格であったテサロニケでした。人口20万を誇る大きな港湾都市で商業が発達し、多数のユダヤ人が定住していました。パウロはユダヤ人の会堂で3週間にわたって聖書を論じ、「イエスこそがキリストである」ことを証ししました。

当時ユダヤ教を信奉していたギリシア人、すなわち「敬虔な異邦人信者」の中には、パウロのメッセージを聞いてイエス・キリストをメシアとして受け入れた人々が出てきました。彼らはパウロが旧約聖書(当時は新約聖書がまだ正典化されていなかったため、旧約のみが聖典でした)を解き明かしながら、「このイエスこそキリストである」と宣べ伝える場面に、聖霊の感動を強く受けたのです。使徒の働き17章3節にあるとおり、「キリストは苦しみを受け、死人の中からよみがえらなければならないことを説明し証明して、『私があなたたちに伝えているこのイエスこそキリストである』と言った」という宣言は非常に直接的で核心的な福音のメッセージでした。パウロは迫害によって肉体的・精神的に相当疲弊していた状態にもかかわらず、不屈の意志と聖霊の力によって絶えず福音を語り続けたのです。この姿勢は今日の私たちにも大きな霊的教訓を与えます。伝道する者は、人の機嫌を取るために穏やかな言葉だけを選ぶのではなく、真理そのものを大胆に宣言すべきだということです。もちろん愛と人格的態度を忘れないことは重要ですが、福音の真髄であるイエス・キリストの十字架と復活がはっきり証しされなければなりません。

テサロニケでパウロに従う群れが生じると、これを妬んだユダヤ人が都市を扇動して大騒動を起こしました。彼らは「この者たちはカイサル(皇帝)の命令に背いている」などと虚偽の証言をばらまき、ヤソンという人の家を襲撃して家庭集会を混乱させました。その後、迫害が激しくなるとパウロとシラスはテサロニケを離れ、近くのベレヤに移動します。しかしベレヤにもユダヤ人たちが追いかけてきて妨害したため、パウロは兄弟たちの助けを得てアテネへ逃れ、そこからさらにコリントへ向かいました。こうした迫害の最中にもテモテはテサロニケの教会に残り信徒たちをケアし、ときにパウロに会って報告するなど、「前進する宣教」と「残っている牧養」の両面を並行して行いました。コリントでパウロ、シラス、テモテが再会したとき、パウロはテサロニケの教会が依然として患難の中にあり、偽教師が入り込んで教会を分裂させ、さらにパウロとシラスの真意を疑って批判する者がいると聞くことになります。そこでパウロが直接筆を執って書いた手紙が、テサロニケ第一なのです。

テサロニケ第一1章では、その教会が迫害の中にあっても信仰の模範を示したことを称賛しています。「あなたがたはすべての信者の模範となった」という表現が出てきますが、迫害が激しさを増すほど、むしろ信仰が一層強固になるという恵み深い出来事が起きたのです。2章と3章では、パウロが自分と同労者たちの真意を弁明し、教会を混乱させる者たちに惑わされないように勧めています。偽教師たちは「パウロはピリピでも問題を起こして投獄され、テサロニケでも騒ぎを起こした後に迫害が始まると責任逃れのように逃げたのではないか」、また「彼は本当に使徒として正当な権威を持っているのか」「教会のために献身する心は本物なのか」など、さまざまな疑いを投げかけて信徒たちの心を揺さぶりました。それに対してパウロは、自分がテサロニケにどのような姿勢で臨んだか、苦難の中でもどのように福音を伝えたか、そしてどれほど彼らを慕い祈ってきたかを非常に情感豊かな口調で説明するのです。

張ダビデ牧師は、ここに示されるパウロのリーダーシップと牧会的姿勢を強調しています。「伝道者は時として去らざるを得ない状況になることがあるが、去った後も最後まで魂を抱いて祈り、ケアする責任感を持たなければならない」ということです。テサロニケ第一2章17節でパウロは「兄弟たちよ、私たちはしばらくの間、顔と顔を合わせられなくても、心は離れてはいなかった」と語ります。これはパウロが「私は決してあなたがたを忘れたことはない。身体的には離れても、霊的な連帯はむしろ強くなったのだ」と告白している場面です。実際にパウロはテサロニケを離れた後も絶えずその教会のために祈り、テモテをふたたび派遣して様子を確認し励ましています。パウロが真心を尽くして支えたその群れは、自分たちが受ける苦難に信仰をもって耐え抜き、いっそう豊かな愛と希望を花開かせる教会へと成長しました。

テサロニケ第一2章4節でパウロは「私たちは人を喜ばせようとしているのではなく、私たちの心を試される神を喜ばせようとしているのです」と言います。これは伝道者や信者の生き方の核心的な志向点を示しています。人からの称賛や認められることに執着し始めると、福音の本質がかすみ、へつらいや欺き、あるいは自分の利益を求める貪欲に陥りやすくなります。しかしパウロは常に「神に認められて福音を委ねられた」という確信の中に生きていたので、どんな誤解や非難にも屈せず、最後まで信徒たちへの純粋な愛を守り抜いて献身しました。このような姿勢こそ、再び教会の信徒の心を支え、結果的に教会が分裂を乗り越えて一つの心となる実を結んだのです。

さらにテサロニケ第一2章7節と11節では、パウロが自分を「乳母」と「父」に例えています。乳母は幼い子に乳を与え育てるように、柔和な愛で信徒をケアするイメージを与えます。一方、父親は子に責任と訓戒、矯正、励ましを与える存在であり、厳しさと導きを象徴します。教会を仕える指導者は、この両方の面を備えていなければならないということです。張ダビデ牧師はこれを「チーム霊性と伝道の霊性」と呼ぶこともあります。パウロ、シラス、テモテが一つの霊性をもってチームを組み、それぞれの位置で福音を伝えつつ教会をケアしたのです。チームとして働きつつ、互いを責任をもって愛し合い、同時に教会に深い献身を捧げました。その結果、パウロが一時的に離れたときもテモテが教会を築き、テモテ一人で手に負えないことがあるとパウロに再び会って対策を相談し、コリントや他の地域でも祈りながら助けを求めました。

教会史が証言するように、福音は常に迫害とともに前進してきました。エルサレム教会も最初は自発的に世界の果てまで宣教しようという計画を立てていませんでしたが、「大きな迫害」が起こったことで信徒たちが四方に散らされ伝道するようになりました。テサロニケでも同じ流れで「迫害が起こる」ことを恐れるのではなく、その迫害を通してさらに大きく教会が拡張する契機となりました。パウロは1章6節で「多くの苦難の中で、聖霊による喜びをもって御言葉を受け、私たちと主に倣う者になった」と称えています。この苦難の中の喜びは、ただ聖霊が与えてくださる慰めと確信によってのみ可能です。だからこそパウロは、もう一度「あなたがたの受ける苦しみは、主や預言者たちが受けた苦しみと本質的に変わらない。だからむしろ喜べ」と励まします。

もちろん偽教師たちは絶えずいろいろな疑念をばらまきます。「パウロがピリピで投獄されたのは何か罪があったからではないか」「テサロニケで騒ぎを起こしておきながら逃げただけではないか」など。しかしパウロは2章2節で「私たちはピリピで苦難と恥辱を受けましたが、それでも私たちの神に力を得て、激しい争いの中で神の福音をあなたがたに語ったのです」と説明します。つまりパウロと同労者たちが受けた投獄や鞭打ちは、人に見せようとする苦行でもショーでもなく、本当に福音のために受けた苦難だったということです。ゆえに彼は「私たちの勧めは欺きや不純や策略から出たのではありません」とはっきり断言します。ひたすら神を喜ばせようとする正直で純粋な動機から福音を伝えたことを強調することで、教会が嘘や疑惑に振り回されないよう支えているのです。

さらに使徒の働き28章に至ると、パウロはローマで最後に福音を語り、ユダヤ人の反応について「この民の心は鈍くなり、耳は遠く、目は閉ざされている」とイザヤ書を引用します。これは彼らが福音を拒んだことで「神の怒りが彼らに臨んだ」という表現とも繋がります(テサロニケ第一2章16節)。神の怒り、すなわち神の裁きは、結果的に福音が彼らから離れて異邦人へ移ったことを意味します。パウロはこの事実をローマ書9~11章で「イスラエルの失脚によって福音が異邦人に及んだ。しかし最終的にイスラエルも回復される望みがある」という神学的解説を付け加えます。テサロニケの教会でもユダヤ人と異邦人信徒間の対立があり、それによって福音が拡張されるという、ある種の逆説的な出来事が生じました。迫害は福音を破壊するどころか、むしろ福音を拡大する力となったという教訓を与えます。憎しみをまき散らせば憎しみしか返らないように見えても、神はその迫害の只中でも多くの魂を救い、教会を堅固に建て上げていかれます。

テサロニケ第一2章の最後でパウロは「あなたがたこそ私たちの望みと喜び、誇りの冠です」と言います。主の来臨のとき、パウロはテサロニケの信徒がイエス様の御前に共に立っている光景を思い描いて、大きな慰めと喜びを得るというのです。これは伝道者の最終的な報いが、まさに「福音を受け入れた人々が主の御前に共に立つこと」であることをよく示しています。教会が迫害や分裂の危機を乗り越えて堅固に立つとき、それほど使徒や牧会者にとって大きなやりがいと感謝はありません。張ダビデ牧師はこうした箇所を通じて「私たちが伝道し教会を建てる目的は、そこにいる兄弟姉妹が主とともに歩み成長し、やがて主の再臨の時に私たち皆が共に栄光をいただくことにある」と繰り返し強調してきました。教会の働きにおいて人を喜ばせようとすると問題が起こりますが、神を喜ばせ、信徒たちを健全な信仰へ導こうとする熱意に集中するなら、非難にも耐え多くの実を結ぶことができるというわけです。

私たちはパウロの切実な訴えと弁明、そして教会を離れていても「顔だけ離れ心は離れていなかった」という思いから、本当の福音の働きの姿勢を学ぶべきです。教会とは単に一つの建物に集まる人々ではなく、互いのために祈り合い、御言葉によって築き合い、困難の中でも強い霊的連帯感を保つ共同体です。パウロがこの連帯感を強調することでテサロニケの教会に明確に伝えたメッセージは、「サタンは教会を分裂させようとしても、私たちが互いに愛し合い一つ心で立つなら、決して教会を揺るがすことはできない」という確信です。偽教師たちのデマに惑わされず、むしろパウロの純粋な使徒的献身を思い出して堅固になることをパウロは願い、教会も実際にその願いを実現しました。

さらにテサロニケ教会の草創期の歴史を振り返ると、迫害の中でも希望が失われなかったことが分かります。パウロは一時的に離れざるを得ませんでしたが、テモテが残って養育を助け、その後また別の地域を回ってきても、この教会を再訪したいと強く思っていました。実際3章によれば、パウロはテサロニケ教会の「信仰と愛」の報告を再び聞いて大いに喜び、彼らの信仰がさらに全きものとなるよう祈っていると明らかにしています。これこそが教会の持つ強力な武器なのです。離れていても祈りで繋がり、牧者がいなくても依然として神の聖霊が働いて教会を守られるという、驚くべき光景が現れるのです。

テサロニケ第一は1世紀当時、ローマ帝国下にあって異邦の地域教会がいかに圧迫に苦しんだか、そしてその中でどうイエス・キリストの福音が深く根を張り花開いていったのかを証言してくれます。また伝道者としてのパウロと同労者たちが見せた情熱と真心は、現代の教会を仕える人々にとっても模範となります。人を喜ばせようとするのではなく神を喜ばせようとすること、お世辞や貪欲の仮面をかぶらない誠実な態度、教会を親が子を愛するように切実に愛する心、そして迫害や分裂の試みにも揺さぶられず祈りで連帯する共同体意識など、あらゆる面で現代の教会が学ぶべき美徳に満ちているのです。

張ダビデ牧師は、こうしたパウロの伝道と牧養、そしてテサロニケ教会の示した信仰の偉大さを講解しながら、今日いかに激しい対立や世俗的誘惑が教会を覆っても、結局福音によって一つとなり、御言葉によって揺るがず立つ教会は決して崩れないと教えています。ときに教会の内部に虚偽の言葉や分裂の試みがあったとしても、神への愛と御言葉中心の歩みを実践する共同体には聖霊の守りがあり、その試みを逆手にとって教会がさらに強められるという現象が起こるというのです。彼はテサロニケ第一2章8節にある「神の福音だけでなく、自分の命までも喜んであなたがたに与えたいと思った。それほどあなたがたを愛していたからだ」という一句を引用し、信徒をケアする牧師や奉仕者の心構えはまさにこれでなければならないと繰り返し強調してきました。この一文には、テサロニケの信徒たちに向けられたパウロの愛がどれほど献身的だったかがよく示されています。

テサロニケ第一を学びながら、使徒パウロが歩んだ伝道者の道、牧会者の道は、一言でまとめるなら「神には栄光を、教会には愛を」という観点だったと言えます。人を喜ばせようと必死になると福音の本質が薄れ、分裂が起こり、結果的に誰も霊的に益を得られません。しかし神を喜ばせるという唯一の基準を握り続けるとき、迫害や誤解が生じても揺るがずに教会を全うに建て上げることができます。パウロの書簡が証言しているように、彼は真の教会の頭であるイエス・キリストに従う弟子であり、その弟子道の道の上で多くの実を結びました。そしてテサロニケの信徒たちはその実りであり、パウロが「私たちの望みと喜び、また誇りの冠」と呼ぶほど愛する共同体として残りました。

現代の教会でも、張ダビデ牧師をはじめとする多くの牧師たちがパウロの霊性を学んでいます。神の御言葉に基づく確固とした基準、そしてどんな状況でも福音をストレートに伝えながら、一方で乳母や父親のように優しく責任をもってケアする、この二重の姿勢が必要だということです。多くの教会が数的成長を目指しますが、福音と御言葉の本質が曖昧になると、簡単に崩れたり分裂してしまう可能性があります。けれども初代教会のようにイエス・キリストの十字架と復活をはっきり握り、その救いの恵みを互いに分かち合い励まし合うとき、真のリバイバルが起こるのです。テサロニケ第一の伝えるメッセージは、一度苦難があったとしても神の御心が挫折するわけでは断じてなく、むしろ患難や迫害が「信仰の練達」となり教会をいっそう堅固にするという逆説的真理を、私たちに改めて悟らせてくれます。

このように聖書の章節区分の歴史的意義を理解し、旧約聖書のさまざまな書の構造やイザヤ書の本来の形、そして新約における章節の成立過程を振り返ってみると、私たちはテサロニケ第一をはじめ、すべての聖書をもっと豊かに読むことができるようになります。御言葉を読むたびに、その背景に横たわる教会史の足跡、聖霊の導き、宗教改革者たちの献身、初代教会共同体の霊的勝利など多彩な背景を合わせて思い起こせば、一つひとつの節がより生き生きと迫ってくるものです。テサロニケ第一2章に込められたパウロの心情的な告白と弁明、「あなたがたこそ私たちの栄光であり喜びである」という使徒の愛をかみしめるたびに、その愛の本質こそイエス・キリストの愛に由来していることを決して見失ってはなりません。パウロがその愛を注ぎ流したように、今日の私たちも隣人や信徒に同じ愛と熱意を注ぐ必要があります。

私たちは絶えず「教会を揺るがそうとする勢力」を警戒しながらも、その勢力に対抗するよりむしろ、神を喜ばせる生き方によって偽りを自然と無効化していくべきです。パウロのやり方のように、欺きや不純から出た勧めではなく、真理の上にあって、むしろさらに柔和でもっと犠牲的な愛によって共同体を仕えるとき、最終的には真実が現れ、教会が一つとなる御業が成し遂げられるのです。このように聖書を章節に区切った意図を理解し、テサロニケ第一を通じてパウロと初代教会の霊性を学びながら、現代教会の状況でどのように適用すべきかを真剣に考えることこそ、私たちが担うべき信徒の召しです。その道のりの中でいつも覚えておくべきは、御言葉を宣べる者も聞く者も、すべてが「人を喜ばせたい」という誘惑から絶えず自らを点検し、ただ神だけに栄光をお返しする心で生きることです。まさにそうするときに、私たちに許されている章節の便利さや教会共同体の礼拝・賛美文化はいっそう豊かになり、現代にも絶えず福音の力が現されるでしょう。そして張ダビデ牧師が一貫して強調してきた「聖書に立ち返ろう」という趣旨と精神は、ますます輝きを増していくに違いありません。